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パソコンを触ってみたくて専門学校へ。
ゲーム学科がつまらなかったので、デザイン学科へ転科。
そこで会った仲間と映像をつくって、クラブイベントで流したりする。
在学中にゲームの映像つくるバイト。
映像は儲からないので、儲かるらしいとの噂を聞いてwebを独学で勉強。
専門学校を卒業後、広告代理店でバナーやキャンペーンサイトづくり。
web制作会社でサイト作成と更新作業。そのときの上司とのちに結婚する。
ヨーロッパを一ヶ月半くらい旅行、お金を使いすぎてカードの支払い分を親に借りる。
肉体労働して親にお金返す。
そのときに、webデザイナーっていう肩書きの名刺を配っていたら、内装デザインの会社からロゴやらサイト作成やらを依頼される。
同時期に、過去所属していた会社から仕事の依頼が来て、流れでフリーランスに。
webサイト作成、webサービスのデザイン、ゲームの映像制作、専門学校の講師(Flashアニメーションの授業)などやる。
結婚するタイミングでフリーランスから足を洗い、クライアントだった地図サービスの会社に入社(はじめての正社員)。
家入社長(当時)に会ってみたいという理由でペパボの面接を受けて、合格してJUGEMのデザイナーに。
チームリーダーを経て、現在は移籍して、ブクログチームのデザイナー。

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福岡県福岡市中央区小笹生まれ。
僕がこの世にやってきた日、福岡は記録的な大雪で交通がマヒ。父は出張先からヘリで病院に飛来したらしい。
西区(現・城南区)樋井川に引っ越す。
普通に近所の幼稚園に通う。おでこに足洗い場のコンクリートが刺さって親の前で大量出血。このときのことだけは鮮明すぎるほどよく覚えてる。
普通に近所の小学校に通う。小太り。ファミっ子。小5で盲腸手術。
近所の中学があまりにもBE-BOPだったため(ボンタン狩り・葬式ごっこ等)、中学受験をする。なんとか合格。
「中高6年間キリスト教系男子進学校」という、灰色すぎるにもほどがある鈍色の青春時代を過ごす。
中1からベースを弾き始める。「人が知らないものはスゴいもの」という中2病まるだしカンチガイで、ヘンテコな音楽や本を漁る。この頃、後の神様となるPeter Saville、永野護、澁澤龍彦等に出会う。みるみるやせる。中高6年間皆勤。「通いマニア」。

大学進学とともに上京。引っ越したのは地下鉄サリン事件の翌日だった。中央線に乗って「ホンモノのコギャルや!!」と驚く。
レコード屋とライブハウスとバイト先に通う日々。典型的大学デビュー。肺に穴があいて手術。広告・マーケティング専攻。友だちは全然いなかったがしっかり通う。

怒濤の就職氷河期に直撃し、数十社受験するも話にならず。就職をあきらめる。ハンバーガー友達に相談。専門学校に行くことにする。親には「浪人したと思ってくれ」と。
卒論で初めてPCに触れる。テーマは「無印良品のマーケティング戦略」。

卒論を提出した翌日からデジハリ東京校に通う。初めて買ったMacは青白G3初期ロット。「マックっていろんなことできるんですよ」というざっくりしたなにかを学ぶ。デザインは完全に独学。
デジハリ在学中に、下北沢の古着屋で友達のバンドの曲がかかっていたので店主と仲良くなる。その人がやっていたアパレルブランドのグラフィックを作っているという男を紹介され、その流れで手伝うことになる。初めての仕事はデパートのカタログ用画像300点の切り抜き。
なぜかそのまま自宅のMacを持ち込んで、AfterEfffectsで映像、Lightwaveで3Dなんかを作る。給料が3ヶ月で5万円とかだった。ゴマとハチミツで飢えをしのぎ、レコードを売って家賃を払う生活。多額の借金発生。
ちょこちょこと個人的な仕事をもらえるようになる。某裏原系ストリートブランドのグラフィックやらホウムペエジをつくったりする。
この頃やっていたバンドが「本気モード」になる。連日の徹夜ミーティング(乱闘)・リハーサルで、鬱・失踪メンバー続出。殺し屋のように失踪したメンバーを捜し出し連れ戻す毎日に嫌気がさし脱退。楽器をすべて売り払い旅にでる。

渋谷の某IT&出版社に就職。某ISPの某ブログサービスの担当として、いろんなブログ企画の立案・デザインをする。この頃から、Webが仕事の中心になっていく。自転車で数度事故。人間の潜在能力のスゴさに気づくが、前歯を失う。チームで仕事をする面白さを学ぶが、チームメンバーが全員退職したのにあわせ退職。フリーに戻る。
ブログバブルだ、わっしょいわっしょい。借金完済。友達と飲みの席で「TOKYO POLAROIDS」結成。企画・営業・わっしょい担当。あれこれ作る。オラオラ作る。作る。腎結石で入院。病院でも仕事。ちょっと疲れる。
どんどん流れて消えて行ってしまう受注制作仕事がイヤになってくる。
お。ペパボ募集してる!!しかも写真サービス!受ける。エントリー出してから1週間で内定をいただく。そのスピード感に惚れる。
約5年ぶりの会社生活に戸惑いつつも、「通いマニア」の血が騒いでいる。がんばって通います。

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高校 → 専門学校でmacに触れる → 専門学校時代に shadeで作った3DCGの作品がどっかのコンテストで受賞する → その時審査員だった方(後の上司)が勤める印刷会社(福岡)の制作部に入社 → DTPデビュー → 印刷物を受注した農協のカタログの撮影現場に行ったら(農家)ファッションモデルをやらされる → 入社から約1年半で会社が潰れる → フリーペーパーの制作と街の飲食店や雑貨屋などのホームページ制作を行う会社に転職 → はじめて仕事でウェブサイトを作成する(tableのtrとtdが理解できなかった)→ フリーペーパーの占いコーナーを担当する占い師の先生が入院される → そのときの上司だった女性(趣味:占い)が「私が占うわ」と言い出し机の中からタロットカードを出す → 無事上司の占いが掲載されたフリーペーパーが完成する → フリーペーパーのポスティングも手分けしてやってたので、いろんなビルに行って投函する日々(そのころペパボにもフリーペーパー届けてた) → 占い師が変わってから、フリーペーパーのページ数が発行するたびに減っていく → もう中綴じする必要も無くなりそうなページ数になったときに廃刊 → 転職を決意 → 会社をやめてジュースを数本買ってペパボに押しかける(初めて見たケンタロさんはおしゃれヤンキーみたいなイメージだった。) → 数日後、入社が決まる(本当にありがとうございます) → ロリポップのマニュアルなどをつくる → マニュアルばっかり作ってたので、マニュアリストと呼ばれる → エイプリルフールのファイルをアップし忘れて家に帰ってしまい、4/1になってもサイトが切り替わらず迷惑をかける → ブログが流行りそうな気配がでてきたのでJUGEMの立ち上げに関わる → JUGEMスタート(liタグをulで囲うことを知らなかった) → ペパボが本社移転してしばらくしてから東京へ転勤 → JUGEM、JUGEM、JUGEM → 2008年に30days Albumを立ち上げる → 30days Albumを頑張っています。

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ホテルのフロント→デジハリ→印刷会社(ブライダル専門)→デパートの専属デザイナー→ペパボ

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居酒屋さん→パチスロ屋さん→カナダ留学→駄菓子屋さん→洋服屋さん→とんかつ屋さん→スタイリストアシスタント→ペパボ
バラバラ。

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Hi,people. I was born in 1984, came from Morioka, living in Tokyo.
I've been working for some web-designing companies untill I came paperboy&co.
So much love to you all!

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デザイン専門学校で定規や烏口や溝引きで直線がうまく書けず悩んでいた時、Macというマシンに出会い、クリック二つで直線や正円が書ける現実に衝撃を受けました。烏口は捨てました。その後新卒で印刷会社に入りDTPオペをやり、ネット事業部たちあげメンバーに参加し、エログロが蠢きあっているネットの世界に魅了されました。その頃の好きな言葉は「alt.binaries.* 」。その後デザインから様々全般的に広く薄くネットと付き合ってきました。どれも深くないのが弱点であり、「デザインもできるんだね」ってクライアントに言われたり、眠れぬ原因でもあります。

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ペパボの前は大阪のOTD(応用通信電業)というところで、BBSのデザインとかユーザーサポートとか法人営業とかブログサービスの企画とデザインとかやってました。ペパボに入ってからは、JUGEMチームでコーディングしたり事業部長になったり本部長になったり取締役になったりした。

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子供のころから絵を描く。

高校の時、タクシーの運転手かイラストレーターになるかで
散々迷って、イラストレーターになる為、美術系の専門学校へ。

卒業後、イラストだけじゃ厳しいと思って大阪デジハリへ。

卒業後、勉強した3DCGを全く活かさないテレビ局の美術の仕事を始める。

そのうち、webに興味を持って大阪でwebのお仕事してたらペパボって会社が東京にあると知って上京。

ネジのホームページとかを作りながら入社の機会を伺い、なんとか入社。

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鹿児島情報ビジネス専門学校→印刷会社でDTP→印刷会社の中のweb課→上京→インターネット広告代理店→ペーパーボーイ→昇華

お気に入ったやつら